子どもと対等に付き合う

子どもと対等に付き合う

 教室を開催していて、私が心がけていることの一つに「こどもとは人として対等につきあう」と言うのがあります。

大人はどうにかすると、つい子どもを「子ども扱い」してしまうことがあります。アトリエでは「子どもとは人として対等である」という気持ちを講師がちゃんと心の底から思っているかどうかは とても大事なこととなります。

なぜなら言葉の端々にその気持ちというのは現れてしまうので、子どもに向かう時は、ここを肝に命じておかないと、声かけが上から目線の指導になってしまうと感じているからです。

教室の中では 人として対等につきあう

 先生というのは、先に生きているということだけで、指導者というのは、子どもたちに先人からの知恵をつなげていく役割なのだと思っています。

 私自身が学生の頃、先生とか、学校とか組織とか、とにかく苦手だったため、まさか自分が先生なんて呼ばれるなど、思ってもみませんでした。 

 この仕事を始めた時の違和感は、相当なものでありました。20代の頃は生徒の保護者のみなさまに、先生と呼ばないでくださいなどお伝えしていたぐらいなのです。

 

 子どもたちは教室の中で気楽に話をしてくれるのですが、それは やはり、長い時間をかけて、こちらが、人として対等につきあう目線を常に意識して持っていないと生まれない信頼関係なんだと思います。あまりにも普通に話をするこども達に時々保護者の方が 「先生にそんな口を聞かないの」と注意されることもありますが、かえってこちらが気遣っていただけることに恐縮してしまいます。私は子どもたちが心許して話をしてくれる会話が何よりも嬉しく思っているからです。

 作品を作る上で「良い作品を作りたい」という共通の思いがあれば、年齢は関係なくなりそんな話ができるようになるのです。アーティストとして交わす会話の楽しさは特別に嬉しい時間となります。

「子育ての中で」

 さてさて、子育ての中ではどうなのか?というと、私は長女が生まれてからずっと自分は母親にはなれないと、悩んでいました。

子育てがうまくできないと感じていたのです。

周りのママ友のようにスムーズに家事も育児も何もかもがうまくいかないと感じており、なぜ 教室の子どもたちと 自分の娘は違うのだろうか?と仕事にも自信が持てなくなっていました。

長女はとにかく落ち着きのない子で、周りのお子さんのようにじっと座っていることができず絶えず動き回っていて、いわゆるとても育てにくい子だったのです。娘の友達を集めて造形サークルを作ったのですが、娘だけが 上手にできなくて、叱ってばかりいたことを思い出します。

 今思えば、自分の母親が先生になっているのですから、ただただ、私の気持ちを振り向かせたかっただけなんだなと、今なら理解できますが、当時はとにかく「なんで自分の子どもだけできないのだろう」と娘に怒ってばかりいたのです。でもそれは自分に腹を立てていたのだろうなあと、一生懸命だった当時の自分を振り返ります。そんなある日すっかり自分に嫌気が差して、出した答えの一つに「この子の友達になろう」と心に決めたことがありました。突拍子もない、思いつきではありますが、あの頃の私は、向き合うことに、必死すぎて、真面目に考えて出した答えの一つでした。だからといって母親であることは変わりはないのですが、でもその心境の変化は私の肩の力を抜くのには、とても役にたったのです。娘の行動の一つ 一つに、頭の中の娘の親友の私が、「友達ならどうするだろうか?」と問いかけている間に、怒る気力が少し は和らぐという、よく訳のわからないやり方で、母親であることが完璧にできないと言う思い込みから抜け出し「母になければならない」というプレッシャーから、距離を置くことができたのかもしれません。

 今考えてみたら、あの頃の私は長女の年齢分の2年しか 母親としては経験がないのですから、数年で母親になれるわけがないですよね。

 今 当時の私が目の前にいたら、もっと気持ちを楽に持って、自分一人で頑張らなくても良いのよ。と声をかけてあげたいなあと思います。子どもの成長とともに、親としても育っていくだけなんですよねえ。

 母になろうと一生懸命になっている自分もたまには褒めてあげて、そして、目の前にいる我が子を人として対等に付き合う姿勢と目線。

 そんなことで ほら、肩の力が抜けませんか?大丈夫 頑張っているあなたもそして、お子さんも!


今日も一日 素敵な一日を!

 2023 1・17

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