「できない」は あたりまえ

「できない」は あたりまえ

先日「人のことは気にしない」というブログを書いきました。すると5年前にも同じ文章を書いているメモが出てきました!!(びっくり!)

それが以下❤️

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ここ30年でこどもたちに悩まされたこと思い出してみた。30年前はとにかく「ケンカの仲裁」が悩みだった。男子も女子も取っ組み合いのケンカの仲裁に悩まされた。時代は80年代後半から90年代。この時は感情表現の激しいこどもたちが多かった。

何でもすぐに暴力で解決しようとするこどもたちの対応に追われていた。私も若かったということもあるだろうがとにかく仲裁するために私も子どもたちに叩かれたり噛み付かれたり蹴飛ばされたり。クレヨン投げつけられたり、水入れの水を頭から被ったこともあったっけ、、、部屋中水浸しになったことも。いろんなことをやられたなあ。ケンカは大声。それをとめるこちらも大声。

ところがいつの間にか そんなタイプは 影を潜めて、それとスライドして現れたのが今度は多動や自閉タイプ。ただ教室をウロウロする。何を聞いても黙っている。そして大勢のこどもたちの態度はそれまでの騒がしいタイプのこどもたちとは真逆にどんどんおとなしくなっていった。

2000年代にあらわれたのが今度は「自由にやりたい」という子どもたち。「やりたいことをやりたい。やりたくないことはやらない」というここの対応に追われた。いわゆる「ゆとりの時代」だったのか

そして今「失敗を恐れるこどもたち」

子育ても時代をみながらということ大事かもしれない。私達は個人で生きていると思っている。子どもの性格も「親の育て方なのでは?」と悩む。でも私達の悩みは社会と同時に生きているのかもしれない。

そんなこと長年こどもたち見てると感じられるなあてことでこれは忘れないようメモ!

                                         2017年 2月1日

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5年前のなんと今日 ↑これを書いている!!

そして 2022年の 今日も同じことを考えいている。「やる前にできない」という子ども「失敗するからやりたくない」と泣く子どものことを。

でも30年前の私と、5年前の私、そして今の私には大きな違いがある。それは何か?

私は長年子どもたちを見ていて、わかったことがあるのです。知ったことがあるのです。それは子どもは 環境によって育ち、環境によって変わり、小さな小さな積み重ねで育っていくのです。その子がその子らしく生きるために必要なのは、小さな積み重ねと時間です。だから私は今は自信を持って答えられるのです。

「子どもは育ちます」育てたように育ちます。

きちんと声かけ 環境が整えば 育つのです。

今、ソダテルLABOの中の子どもたちが「人のことを気にしない」で自分らしくいられるようになる子には、声けし始めて、早い子なら3ヶ月ぐらいから変わりますが、でも、たいていのこどもたちは3年から5年はかかるような気がしています。4歳ごろから声かけをして 環境を整えてあげると小学4年生ごろから大きく育ち始めます。

それでいいんです。子どもが、いえ 人が育つには長い時間がかかるのです

子どもが いろんなことをしっかりと身につけて、自分の力でいろいろなことを構築していくためには、土台作りが必要なんです。反対に言えば土台を作れば育つのです!土台作りには苦労もするけど時間もかかるものなのです。

今なぜ「できない」というか、それは土台を作る時間を子どもたちに用意できていない環境(社会)があるからなのです。全て用意されている世界(社会)では できることが当たり前。

今 親世代の人たちも 「あることが当たり前」「できることが当たり前」の中で生きています。

手を出せば出る水。ドアの前に立てば開くドア。紐を結ばずに履ける靴。ボタンを止めずに着れる服。努力なくできるようにできている 便利な世界に生きています。

昔、小さい子どもにとって、大人社会はとても生きづらいものでした。重くて開かない扉。開かない窓。強く閉めないと止まらない水道。缶切りがないと開かない缶詰。栓抜きで開ける瓶や牛乳。手を動かし何度もチャレンジしないとできないことに溢れていました。でもそれが手を動かし知恵を働かせ、「できる」自分を育てていたのかもしれません。今、便利に溢れている世界(社会)になり、幼稚園に4歳5歳で入園して 自分でトライすることが増えてやっと、子どもたちは気づくのです。「できない」ことに溢れている世界(社会)が目の前に現れて驚くのです。

なぜできないのか?が理解できないのかもしれません。それは、子どもたちが悪いのでもなく、今、当たり前にある(便利な)環境が、今の子どもたちを作っているのだと、ただ大切なのは大人たちが どれだけ「できることが当たり前の世界に生きている子どもの不自由さ」に気がついてあげられるか?なのだと思います。

できないのはあたりまえ

「できない」と言われたことに対してソダテルラボでは「やってみなさい」という声かけだけではなく、できることからの積み重ねを目の前で見せていきます。やり方を伝えます。「できない」のはただ「やり方を知らない」「やり方がわからない」だけなのです。だからできないからと言って、自信をなくすことではないのです。

知らないことを教える、やれないことをやれるようにする。これが教育の現場だと考えています。

できないことがあたりまえ。それがもっと、許される社会だと良いのになあと、子どもたちを見ていて、微笑ましくも悩ましく、そんなことで泣く必要なんかないと伝え続けています。。

ソダテルLABOでは、わざわざ面倒なことを用意しています。手を動かさないと、頭を使わないと、できないことをたくさん用意しています。ここでは子どもたちはたくさんの「できない」に出会います。「できない」ことにチャレンジして「できる」に変わった時に小さな自信が芽生えていきます。それを丁寧に丁寧に積み重ねていくことでやっと土台ができていくのです。土台を作れば後は自分でぐんぐんと伸びて行きます。根っこを育てている時間は 目には見えません。でも、目に見えない根っこの部分をどれだけしっかりと大地に根付かせるか?これが その子らしく大きく育つための準備なのです。

ソダテルLABOは、子どもたちの目に見えない大切な「力」と「心」を育てていたいと思っています。これからの時代、「目に見えるモノやコト」だけではない。「目には見えないモノとコト」 これが大切だと考えています。